毎日、多くの写真を扱う報道機関。これまでに蓄積された写真は、それこそ膨大な量にのぼります。以前、朝日新聞社では、テレビや雑誌など他のメディアからの希望があると、該当の写真をプリントして渡していたそうですが、最近ではデジタルによるアーカイブ化が進み、その利用法も変化してきたと言います。
朝日新聞社の吉田耕一郎さん(デジタル本部コンテンツ事業部/写真事業担当部長)と柏木和彦さん(朝日新聞フォトアーカイブ/次長)に、報道機関における写真の流通事情について昨今の様子を伺いました。
※トップ画像:ISが爆破したヌーリ・モスクの敷地。
新聞社の写真は外部の企業や個人も使えますが、その使用法に変化はありますか。
柏木和彦さん(以下、柏木。敬称略):
以前は写真を使いたいと連絡があったら、プリントして郵送するというサービスを行っていました。大変手間がかかり、またデジタル化の波もあって、2010年に「朝日新聞フォトアーカイブ」というWebサイトを立ち上げました。日付やキーワードで簡単に写真の検索ができるサイト。新聞社が扱う写真の量は膨大で、デジタル化して公開できる枚数は年に約15万枚あり、現在、サイト上では約280万枚の写真が公開されています。
吉田耕一郎さん(以下、吉田。敬称略):
必要な写真がすぐにデータでダウンロードできるようになったせいか、活用方法の幅が増えてきたように感じます。以前はやはり報道使用、テレビや雑誌で使われることが多かったですね。今ではCM、広告、社史など、報道以外の利用も増えてきました。
柏木:メディアだけではなくて、たとえば「今日の出来事」を毎日掲載していくデジタルフォトスタンドなどでの利用も。新聞社の写真をそんなふうに使っていいんだ、という驚きの声もありますが、汎用性が出たというのは大きな動きですね。
新聞社の姿勢としても、写真というコンテンツの重要さにようやく気付いた、という段階です。
膨大な分量の写真は、どのように保管・管理していますか。
吉田:フィルム時代の写真については、弊社内でスキャンをして、著作権の確認、撮影者、撮影状況など書誌情報と併せてデータにします。現在のデジタル写真については、紙面で使用するために出稿作業を行うと、情報と共に自動的に取り込まれるようになっています。
それらの写真データは、外販できるかどうかを1枚ずつチェックして外部公開しています。写真原本は、スキャンしてデジタル化しても捨てたりせず、倉庫に保管しています。戦前の貴重なネガやプリントなどもありますので、今後は、温度、湿度管理が整っている専用の倉庫での保存も考えています。
――そうした写真の著作権の管理は?
吉田:著作権については弊社が保証しますが、肖像権などそれ以外の権利については使っていただく方に確認してくださいね、とお願いしています。
柏木:特に広告に使用する場合は、注意が必要です。お祭りなど多くの人が集まる場の写真に偶然写っていた人、たまたま背景に映り込んでいた企業の看板など、わりと火種が隠れていることが多いので。
吉田:弊社に許諾を取らないで写真を勝手に使われることもあります。取り下げてくださいと警告を出しますが、全部を探し切れないですし、一般の方から教えていただくこともあってその都度、警告を出すことにしています。不可視のウォーターマークを入れてはいるのですが常時監視していることはできないし、どうやって制御するかはまだ課題です。
――一般の方が撮影した写真につては、著作権の扱いはどうしていますか。
吉田:一般の方が撮影した写真や動画については、著作権はその方にあります。事件現場などでは、撮影者が一般の方、というのはよくあることので、記者は現場に到着したら「まず撮影者を探せ」というのが鉄則です。当然、画像を提供していただくことになります。提供写真は撮影者の許諾が得られた場合のみ販売します。
柏木:提供写真などについては、我々は自由にその写真を使うわけではなく、紙面やデジタル版に掲載していいか、アーカイブで販売してもいいかと一つずつ許諾を得るようにしています。中には、紙面はいいけどアーカイブは拒否されることもありますので。著作権者の意思を尊重するのが最優先されます。
歴史写真や報道写真の貸し出し対応について、今後の展開をどのようにお考えですか。
吉田:歴史と報道、これは弊社の一番の財産ですね。企業の社史や年表など、何かを振り返るときには起こった出来事と一緒に写真を付けるのがわかりやすいです。山梨県のあるワイナリーではワイン樽が製造年ごとに並んでいて、樽の上にその年に起きた出来事の写真がずらっと並んでいたのが壮観でした。こうやって記事と写真をセットで売ることもできるんじゃないかと気付いたところもあります。
柏木:周年を迎える企業は、大きなターゲットになりますね。何年頃のあの出来事を探したい、となったらWebで検索できるのがやはり便利。特におすすめは1964年の東京五輪の聖火リレーの写真。各都道府県のシーンをそろえました。
吉田:聖火が来ると聞いて、町をあげてお出迎えしていている写真がとても印象に残りました。正装して待っている人達もいて、時代の雰囲気がわかりますよね。
それから、沖縄の戦前の写真も弊社で特集しました。沖縄タイムスと連携して、戦争前に撮影されたフィルムを全部スキャンし直して、写真集にしたり写真展を催したり。
――教科書など、教育関係への写真使用にも力を入れているとか?
柏木:現在、「歴史授業キット」を準備中です。これは、キット内に用意された中から、授業用に写真を自由に選んで使えるシステムです。電子教科書や電子黒板の普及で、教育現場での写真の需要はますます高まっていくと思います。
新聞社の写真の未来は
吉田:新聞の制作についてはデジタル化が進んでいるのに、写真は紙焼きやフィルムでしか残っていない。以前は編集部門が使う際には1枚1枚スキャンしてデータを取り込んで、という作業がとても大変でした。ですから写真データをデジタル化してアーカイブしたことは、実は社内の需要に応えるためでもありました。デジタル化には、社内でも使いやすく、外販もしやすい、その両面があります。
特に地方紙などではまだ写真アーカイブのデジタル化が進んでいないところもありますが、きちんとデジタル化してサイトで公開すれば社内にも社外にも利便性があることがわかれば、もっとデジタル化が進むのではないかと思います。
柏木:デジタル化には、フィルムを見て理解ができる人材が必要。さらに紙焼きの裏に少しだけ書かれた説明文を元に、どこで何が起こったときの写真なのかを調べなくてはなりません。過去の写真にさかのぼって、計画的にやっていくことが、社内でも再認識されています。
――過去の写真すべてがアーカイブされたら、すごい財産になりますね。
柏木:そうですね。6年ほどかけてデジタル化して、ようやく数がそろってきたところです。膨大な写真は、倉庫に置いてあるだけではもったいなくて、世の中に出て初めて役に立つもの。報道以外の分野でも使ってもらえるとうれしいですし、デジタル化していろいろな場面に使ってもらうというのが、写真の一番の使命なのかなと思います。
profile
吉田耕一郎(よしだこういちろう)=右
1987年、朝日新聞社入社。広島支局、大阪写真部、西部写真部、東京写真部、写真部新潟駐在、東京報道局写真センター(フォトディレクター)などを経て、2012年4月から朝日新聞フォトアーカイブ担当部長。
柏木和彦(かしわぎかずひこ)=左
出版社勤務を経て、1990年に朝日新聞社入社。東京、仙台、福岡でカメラマンとして勤務。他に別刷りの『be』や出版局(現・朝日新聞出版社)で写真セレクトを担当。2010年にフォトアーカイブに異動し、現在は営業担当次長。