©Koji Aoki/AFLO SPORT

写真オタクが集まった、写真好きのための会社

広告に使われるクリエイティブ素材だけでなく、スポーツや報道の写真や動画、その撮り下ろしなどを手がけるアフロ。1998年からは日本オリンピック委員会のオフィシャルフォトエージェンシーに認定され、オリンピックの公式写真集の制作も行うなど業務の幅を広げています。今後の展望について、代表取締役社長の青木紘二さんにお話を伺いました。

オリンピックの公式写真集を出されるようになったのは、いつからですか?

1998年の長野オリンピック・パラリンピックからですね。それから20年、2016年のリオデジャネイロで10冊めになります。
選手の顔写真は出発前に撮影。大会期間中は私も含めて弊社から7名のカメラマンが現地に行き、閉会式に出る間もなく帰国して写真のセレクト作業に没頭しました。選手が首相官邸に挨拶に行く前に集合写真を撮るのですが、皆さんは自由というかなかなか集合してくれず、ウチのスタッフ総出で選手をまとめたりする場面もありました。
写真集の発行作業に当たっては、企画、編集、写真手配、レイアウト、印刷まで、すべて弊社で行いました。

オリンピックの現場では、撮影に一番いい場所はテレビカメラの独占状態。フォトポジションは、年々追いやられている印象です。とはいえ、写真には写真の魅力がある。一瞬を切り取った写真には、見る人の想像力をかき立てる力があります。体操の内村航平選手が初めてメダルを取った北京オリンピックの写真を出したときには、内村選手のご両親からお礼の連絡があったほどです。
リオデジャネイロオリンピック日本代表選手団2016

アフロがスタートしたのは、いつのことでしょうか。

最初は、自分の写真事務所としてのスタートでした。1980年のことです。私はそのころスイスに住んでいて、スイスのスキー教師国家資格を取得してからカメラマンになり、世界中を旅していました。旅先で撮った写真がすでにストックとしてあり、声をかけた同業者がスポーツ、特にスキーの写真をたくさん預けてくれました。
最初に広告を打ったときのキャッチコピーが「スキーなら、なんでも」というものでした。当時、山と渓谷社の『skier』という雑誌で年間300ページの制作を担当していたこともあり、スキーの写真があちこちで使われるようになったのです。

1992年にバブルが弾けたとき、弊社だけはなぜか売り上げが伸びました。「アフロだけなぜ?」と取材やインタビューを多数受けたのですが、私の答えは「わかりません」。本当にわからないんですよ。今考えると、最初はスキー、次にゴルフ、風景、そしてクリエイティブの写真、と少しずつ取り扱いを増やしていったら、お客さんも少しずつ増えていったんです。最初から間口を広げすぎず、できるところからジャンルを特化して成長していったのが、大きく失敗しなかった理由なのではと思っています。

報道写真は儲からないという定説があって、最初はクリエイティブだけを扱っていました。ただ以前から、ニュースはやりたかったんです。スポーツは得意なのでスポーツのニュースから取り扱いを始め、芸能をやってから時事写真へ。そうしているときに、長野オリンピックの公式写真集を出すエージェンシーに選ばれました。それまでのスキー写真の取り扱いなどから、ウィンタースポーツの写真はアフロだという認識をしてもらえたこと、またただの報道写真ではなく作品という形で撮った写真を写真集にしたいとオリンピック委員会の方たちに推してもらえたのは、本当にうれしかったですね。
©Iwao Kataoka/AFLO

写真エージェンシーにとっては厳しい時代になってきているようですが、そのことについてどう思われますか。

写真というものがこの世からなくなることはないと思うのですが、機材がよくなったおかげで誰もがある一定のクオリティの写真を撮れるようになりました。これは、プロのカメラマンや写真エージェンシーにとってはビジネスが成り立ちにくく、将来は厳しいと感じます。

動画では、8Kの存在が脅威。あの奥行き感は特別です。この出現は、世の中を変えていくでしょうね。今までとは違って8Kなら静止画を切り出すこともできてしまう。こういった難しい状況であることを真摯に受け止めてやっていくしかない、そこにビジネスチャンスが見出せるのではないでしょうか。

弊社では『死ぬまでに行きたい世界の絶景』や『108の世界遺産』といった本のアイデア出しなども行っています。このようなことができたのは、やはりオリンピックの公式写真集の制作を自社で行ったおかげで、本に関する知見が蓄積できたから。写真をどう使ってもらえばいいかという提案から働きかけることも、今後のエージェンシーの活動を広げるヒントになるのではないでしょうか。

近年は、動画のマーケットも広がってきています。この動画は、江戸末期から受け継がれてきたガラス工芸、江戸切子の職人技を紹介したもので、自社で企画から撮影・編集までを手がけました。

今後の展望についてお聞かせください。

弊社のサイトは更新頻度が高く、オリンピックやワールドカップのときは24時間態勢で情報を発信してきました。それに、利用されるお客様から「切り口がおもしろい」という評価をいただきます。写真好きなオタクばかりが集まっているので、写真に対する愛情や「楽しい」という気持ちがサイトにも出てしまうのでしょう。「写真をどう使うか、どう伝えるか」という写真への想いが大切です。
これまでにもいくつか転機はあったのですが、それをなんとか乗り越えられたのは「好きなことをやろうよ」という姿勢を通してきたから。その「好き」な気持ちが集客性につながればいいのですが、これがなかなか。業界で一番、ビジネスライクにやっていない会社なので、生き延びられるかは心配ですけど、そこがウチのいいところでもあると思っています。


青木紘二(あおきこうじ)青木紘二(あおきこうじ)

Profile
株式会社アフロ代表取締役社長。20代でスイスに留学、スイス連邦公認国家スキー教師の資格を取得。スイスをベースに、カメラマンの仕事を開始。1980年に株式会社アフロを設立。1990年に帰国。1998年に長野オリンピック・パラリンピックの公式写真集を発行。以降の夏期・冬期のオリンピック・パラリンピックの公式写真集を手がける。
http://www.aflo.com/